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社会保障・税一体改革の光と陰

通信教育部公開スクーリング
学園創立60周年記念講演
「社会保障・税一体改革の光と陰」

講師:
神野 直彦 氏(東京大学名誉教授)
日時:
2013年10月5日(土)

※所属や肩書は講演当時のものです。

社会保障・税一体改革の現実

 「社会保障・税一体改革」とは、読んで字のごとく、税制抜本改革と社会保障改革を有機的に結びつけて改革することです。社会保障を維持・充実させるために消費税率を引き上げ、その全額を社会保障の財源に充てることにしたわけですが、それを決めると同時に、経済をダウンさせないためのさまざまな政策が打ち出されました。2013年の当初からの金融緩和と公共事業関係の財政出動に、さらに輪をかけて対策を講じると同時に、さまざまな規制緩和をしていこうという、本来の趣旨とは少し違った方向に動きはじめています。確実に租税負担の増加を社会保障の維持・充実に結びつけていかなければ、現在の社会保障制度すらも機能しなくなってしまいます。

 この改革では、消費税を5%引き上げ、1%(2.7兆円)程度は社会保障の充実に、4%(10.8兆円)程度は社会保険財政の赤字補填に使うことになっています。この赤字補填に使う部分では、国民のサービスを増やしません。つまり、今のサービスを、借金ではなく税で調達するだけなのです。

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 財政赤字というのは、企業や家計の赤字とは意味が全く違います。政府が公債(借入金)で資金を調達した分を赤字だと言っているだけで、日本の財政の決算は黒字です。借入をするのは企業であれば、当たり前のことですし、このままではギリシャのようになってしまうと危機感があおられていますが、日本は国民経済全体としてはお金が余っているので大丈夫です。しかし、借金はなるべく少なくしておいた方が、財政活動を維持していくには安心です。ですから、基礎年金国庫負担2分の1を確定させるなど、社会保障費はなるべく借金ではなく、税で調達しようということにしたわけです。

 社会保障の充実に使う1%のうち、年金と子育ての使い道は決まりましたが、医療と介護の使い道は決まっていませんでした。それを国民会議で討議しましたが、この目玉は、国民健康保険の保険者を市町村から道府県に移していくことです。もっとも、反対も多く、実現するかどうか分かりません。日本の社会保障制度は労務管理と深く結びついていて、企業が労務管理政策として健保組合をつくって医療保険を提供しており、国民健康保険は農民や自営業者のために発足したものでした。ところが、現在の国民健康保険の加入者は、企業の退職者が4割、非正規雇用者が4割を占めています。というよりも、国民健康保険とは医療保険の最後の受け皿としてラスト・リゾートになっています。納付率も悪く、病気にかかる率も高いので、必然的に赤字になります。しかし、このラスト・リゾートから建て直さなければ、日本の社会保障制度は崩壊してしまいます。

 社会保障がどこの国でも危機に陥っている原因の一つは、第二次大戦後の「黄金の30年」といわれて、福祉国家を目指していた時代のように、高度経済成長が実現できなくなってきていることです。それに加えて、出生率が落ち込み、人口構造がいびつになっていることも一因と考えられます。しかし、最も決定的な要因は、互いに助け合う精神的風土、つまり世代関連帯が失われていることです。税も社会保険料も、自分のためではなく、他人のために支払うものです。労働能力がない幼児も、労働能力を失ったお年寄りも、世代間の連帯によって扶養される。火災保険に例えると、支払った火災保険の保険料を取り戻すために自分の家に火をつけるような人はいないのと同じです。かつて存在した家族内の連帯が社会化して社会保障になっているわけですから、それをやめるならば元の家族内の連帯に戻さなければいけない。子どもやお年寄りを家族だけで見るのか、社会全体で見るのかという選択であって、世代間の損得勘定で議論するような話ではないのです。

「危機(crisis)」における財政と二つの環境破壊

 なぜ社会保障と税制の大規模な改革をしなければならないのかというと、私たちは今、破局か肯定的な解決かの決断を迫られる、大転換期に生きているからです。軽工業を基軸とする産業構造で、自由主義国家の小さな政府が金本位制度で世界を統一していたパクス・ブリタニカの時代が1929年の世界恐慌で完全に壊れ、第二次世界大戦という大きな代償を払ってパクス・アメリカーナ(重化学工業を基軸とする工業社会、社会福祉国家)の時代に移行しました。しかし今、現在の世界恐慌とも言える激震が走って、それが終わりを告げようとしているのです。こうした大転換期における財政の使命は、皆が安心して生活できるように保障するセーフティネットを張り、新しい産業構造に変わっていく前提条件として必要なインフラストラクチュアを整備することです。

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 しかも、この危機的な状況の中で、二つの環境破壊が深刻に進行しています。一つは自然環境の破壊です。大量生産・大量消費による重化学工業化は、自然資源を大量に消費します。1973年の石油ショックの前に、ローマクラブが「成長の限界」という有名な報告書を出して再生不能資源の枯渇について警鐘を鳴らしました。しかし、この後すぐに市場を重視する新自由主義の人々が出てきて、必ず市場は代替財源を見つけるので大丈夫だと言い、原発推進が始まりました。そして、その後も成長を目指し続けた結果、水や緑など再生可能な資源が枯渇しはじめて、慌てて持続可能性と言いだしたのですが、これもすぐに成長の持続可能性と言い換えられ、今、いよいよ後戻りできない危機的な状況になりつつあるのです。
 もう一つは人的環境の破壊です。社会保障を支える共同体的人間関係が崩壊しつつあります。また、賃金水準の停滞や人口構造の変化も起きています。

「質」の経済への三つの基本戦略

 したがって、まずは経済システムを大量生産・大量消費の「量」の経済から、長持ちする、洗練された、質の高いものを求める「質」の経済に変えていかなければいけません。「量」を「質」に転換するのは、知識や情報です。人類が地球とともに歩んでいくには、自然を支配しようとするのではなく、知恵や情報をどうすれば自然が再生し、私たちの命を存続できるのかというところに使わなければならないのです。

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 そのための第一戦略は、「盆栽型教育」ではなく「栽培型教育」をすることです。盆栽では針金で強引に曲げていくように、「盆栽型教育」には無理があって楽しくありません。一方、「栽培型教育」とは植物を伸びたいように伸ばすように、肥料を施したり害虫を排除したりすることが教育となります。教育もこのように転換していく時代が来ています。しかも、誰もが、いつでも、どこでも、ただで、やり直しの利く教育でなければいけません。労働生産性を高め経済成長するために必要なのは一人一人の人間の能力を高めることですし、国際競争力をつけるには、同じものづくりでも知識を使ったものにする必要があります。

 第二戦略は生命活動の保障戦略です。これは環境と医療を良くしていくことと同時に、新しい産業を生み出していくことです。

 第三戦略は社会資本培養戦略です。知識資本とは、人的能力と社会資本を合わせたものです。知識は惜しまず与え合うことによって初めて意味を持ちます。株式会社のような組織は、工業生産物を作るには効率的かもしれませんが、知識を生産していく上で本当に効率的かどうかは分かりません。何かの真理に向かって自由に動いている人々が偶然発見するようなことで、科学は発展していくのです。大学も、昔の組織の方が知識の生産は惜しみなく自由でした。そして、応用が必要ならば、企業の論理と大学の論理をそれぞれ守りながら共同の研究機関などをつくり、助け合って共同作業に参加すればいいのです。

社会的インフラストラクチュアの張り替え

 日本は土木事業が非常に多い国です。重化学工業の時代は全国的な交通網やエネルギー網が必要とされ、先進諸国では公共事業で道路や橋がどんどん造られましたが、1973年の石油ショック後は一斉に手を引いています。しかし、日本はその後もずっと公共事業をやり続け、21世紀に入ってようやく他の先進国の水準まで落としました。しかし今、決断が迫られているところへオリンピック招致が決定したので、また公共事業が増えていかざるを得ないかもしれません。

公的資本形成(一般政府総固定資本形成の対GDP比)

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 一方、教育への公的支出は、北欧諸国に比べて日本はとても低くなっています。スウェーデン国民は、両親が子どもと一緒にいるために欠勤する権利を持っていて、どちらが多く取得するかで父親と母親が争っていますが、日本では父親が育児休暇を取らないと母親が怒っています。日本人は子どもが嫌いになったのでしょうか。子どもと一緒にいて、子どもが喜ぶにはどうしたらいいだろうと工夫している国民と、押しつけ合っている国民とでは、差が出てきて当然です。日本では、子どもに対する関心度合いが非常に弱くなっています。その中で生きていく子どもには、大変な努力が必要とされます。

教育への公的支出(対GDP比)

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社会的セーフティネットの張り替え

 同時に、社会的セーフティネットを張り替える必要があります。今、世界は、ドイツ、フランス、スウェーデンのように社会保障の支出水準が高い国と、日本、イギリス、アメリカのように低い国に分かれています。貧困はあくまでも個人的な責任だという考え方に立つのか、社会の責任として受け取るのか、どちらに立つかによって全く違った結論が出てきます。

所得税中心主義の解体戦略から所得税中心主義の補強戦略に

 第二次世界大戦後、先進諸国は福祉国家を目指し、豊かな人々が重い負担をする税制(法人税、所得税中心)を組み、社会保障で戻すことによって政府は所得再分配をしました。これをやればやるほど経済成長すると考えたわけです。ところが、1980年代になると、租税負担率が低い日本やアメリカなどは経済成長をするけれど、スウェーデンやデンマークなど租税負担率が高い国は経済成長はしないという関係が明確になってきます。これは1973年の石油ショックと同時にブレトン・ウッズ体制、つまり固定為替相場制度が崩れ、変動為替相場に移行したことで、資本が国境を越えて自由に動き回るようになったからです。つまり、租税負担と経済成長は無関係で、要は使い方の問題なのです。

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 北欧諸国はセーフティネットを新しいインフラストラクチュアのネットに変え、産業構造を変えています。日本には再生可能資源はあふれています。これに農業を絡めていけば、私たちの豊かで再生可能力が非常に高い、恵まれた大地を十分に利用した産業構造の循環が国内でできてきます。今や世界各国がそれぞれの国の自然に合わせて資源を利用していかないと、この時代を乗り切れないことは明らかです。

日本の租税負担率(GDP比)の推移

1985 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000 2005 2007
所得課税 8.0 9.4 9.3 11.7 12.5 14.6 10.3 9.4 9.3 10.3
 個人所得課税 3.9 4.2 5.0 6.2 6.8 8.1 6.0 5.7 5.0 5.5
 法人所得課税 4.0 5.2 4.3 5.5 5.7 6.5 4.3 3.7 4.3 4.8
財産課税 1.5 1.5 1.9 2.1 2.7 2.7 3.3 2.8 2.6 2.5
消費課税 4.5 4.1 3.1 3.6 3.3 3.5 3.7 4.6 4.7 4.5
 一般消費税 - - - - - 1.3 1.5 2.4 2.6 2.5
 個別消費税 4.5 4.1 3.1 3.6 3.3 2.2 2.2 2.1 2.1 2.0
租税負担率 14.2 15.2 14.8 18.0 19.1 21.4 17.9 17.5 17.3 18.0
社会保障負担 4.0 4.4 6.0 7.4 8.3 7.7 9.0 9.5 10.1 10.3
 被用者負担 1.3 1.7 2.2 2.6 3.0 3.1 3.7 4.0 4.4 4.5
 事業主負担 1.7 2.3 3.2 3.8 4.2 3.7 4.3 4.4 4.6 4.7
国民負担率 18.2 19.6 20.8 25.4 27.4 29.1 26.8 27.0 27.4 28.3

出所:OECD Revenue Station. 1965-2008. 2009

 日本は、所得税、法人税を中心とする税金を解体していく方向を取り、失った税収の一部を消費税の増税で埋め合わせる政策になっています。ですから、新しい社会保障を充実させていくどころではなく、削っていく方向に行かざるを得ないわけです。そうではなくて、所得税、法人税を中心とする税制を維持しながら、その欠陥を補強するために、付加価値税を導入し、その税負担が増えた部分で、新しい社会保障制度を充実していこうという方向に行かなくてはいけません。

OECD加盟国の租税負担率(GDP比)の推移

1985 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000 2005 2007
所得課税 9.0 10.2 11.2 11.9 12.2 12.9 12.4 13.1 12.8 13.2
 個人所得課税 7.0 8.1 9.3 10.1 10.1 10.4 9.7 9.6 9.2 9.4
 法人所得課税 2.2 2.3 2.2 2.3 2.6 2.6 2.7 3.6 3.7 3.9
財産課税 1.9 1.9 1.7 1.6 1.7 1.9 1.8 1.9 1.9 1.9
消費課税 9.1 9.3 8.8 9.3 9.9 9.9 10.5 10.5 10.6 10.3
 一般消費税 3.3 4.0 4.2 4.6 5.2 5.9 6.1 6.6 6.8 6.7
 個別消費税 5.8 5.3 4.7 4.6 4.7 4.1 4.3 3.9 3.7 3.5
租税負担率 20.9 22.3 22.8 23.8 24.9 25.9 25.8 26.9 26.6 26.7
社会保障負担 4.6 5.2 6.5 7.1 7.6 7.8 8.9 9.1 9.1 9.1
 被用者負担 1.5 1.7 2.0 2.3 2.5 2.7 3.0 3.1 3.1 3.1
 事業主負担 2.6 3.0 4.1 4.6 4.7 4.7 5.3 5.5 5.5 5.4
国民負担率 25.5 27.5 29.4 30.9 32.6 33.7 34.7 36.0 35.7 35.8

出所:OECD Revenue Station. 1965-2008. 2009

 第二次世界大戦直後の重化学工業を基盤としていた時代には、主に男性が働きに行き、男性が賃金を正当な原因で失ったら現金を再分配して保障してあげる。これは家庭内で女性がただで子どもたちの面倒を見たり、家事労働をするという家族像が前提でした。しかし、重化学工業が衰退し、女性が労働市場に出ていくようになると、家庭内で生産されていた福祉サービスは、社会化されなければいけません。労働市場に誰もが参加できるようにするためには、家庭内の環境をきちんと整備し、ユニバーサルに制限をつけずに出ていけるようにする必要があります。そういうサービスをするために、先進諸国は所得税、法人税中心主義を補強するような形で消費税を入れているのです。

忘れられたヴィジョン

 第二次世界大戦後、日本は一度も増収のための改革をしたことがありません。消費税を導入したときも税収中立が前提で、税収は減収させているのです。今回初めて、私たちは社会保障を少なくとも維持し、さらに充実させるために、増税しようとしているのです。ですから、本当にサービスが増えて、国民がありがたみを実感できなくてはいけないのです。ところが、途中までそうなっていたのですが、いざとなると減税の大合唱です。

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 今回の社会保障・税一体改革の議論には、社会保障の維持・充実をするための増税が挫折するのかしないのか。富裕者のための増税路線の復活にならないか。お金持ちがより豊かになり、そのおこぼれで貧しい人の生活を向上させていくというトリクルダウンの幻想は現実化するか。そして、公共事業や重厚長大で自然資源を多消費するような産業をまたつくり出して、この水色の惑星はもつのか。水色の惑星とともに歩んできた人間の旅路は終わらないのか。こういう私たち人間が持つ根源的な問いが含まれているのです。今後の動向から目が離せません。

東京大学名誉教授

神野 直彦

1946年埼玉県生まれ。東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。大阪市立大学助教授、東京大学教授、関西学院大学教授などを経て、現在、東京大学名誉教授、地方財政審議会会長。専門は財政学。著書に『財政学』(有斐閣)『人間回復の経済学』『「分かち合い」の経済学』(ともに岩波新書)、共著に『失われた30年―逆転への最後の提言』(NHK出版新書)など。

※この講演録は、学校法人日本福祉大学学園広報室が講演内容をもとに、要約、加筆・訂正のうえ、掲載しています。 このサイトに掲載のイラスト・写真・文章の無断転載を禁じます。

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