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産業観光と半田赤レンガ建物

「楽しみの場」としての活用期待

 昨年の富岡製糸場に続いて、今年は軍艦島などが、ユネスコの世界遺産に登録された。産業遺産に注目が集まり、連日多くの人が訪れている。産業遺産を観光資源の一つとする考え方は、JR東海の須田寛さんが「産業観光」を提唱して以来、日本中に広まりつつある。産業観光においては、産業遺産は見学や学習の対象というだけではなく、楽しみの場としても位置づけられる。

 今年7月、半田赤レンガ建物が常時公開施設としてオープンした。この建物は、1900年カブトビールの工場として建設された建物である。レンガの個数は240万個、現存の建物として東京駅・横浜赤レンガ倉庫に継いで日本で三番目の多さである。当時のカブトビールは全国のビール市場において、エビス・キリン・サッポロ・アサヒに次ぐシェアを持っていた。

 では、なぜ愛知県半田に巨大なビール工場が誕生したのか。一言でいえば、「危機を好機に変えた」である。幕末から明治初年にかけて、半田の酒造界は大きく成長した。しかし、1877年からの酒税導入とそれ以降の度重なる酒税増税は、酒造家の経営を圧迫した。この危機を乗り切るために、有力な醸造家たちは、これから生活の西洋化が進むとにらみ、ビール製造を始め、軌道に乗ったところで、巨大工場を新築した。建物・醸造機械・醸造技師・原料などドイツにこだわった。多くのレンガを用い空気の層を造ることで、温度管理が可能になり、夏でもひんやりとした空間ができ、ビールの味・品質が維持された。

 半田赤レンガ建物では復元したカブトビールを飲むことができる。現在のキレのあるビールとは異なり、コクのある味わいである。キンキンに冷やすことができない冷蔵環境に合わせたビールともいえる。それと同時に、カブトビールや建物の歴史を展示を通して知ることができる。古い建物を活用した施設は数多くあるが、その歴史がわかるところは意外と少ない。

 古い建物を保存することは難しい。保存のために活用法を考えないといけない場合もある。その一つが観光である。しかし、建物の雰囲気のみを使うのであれば、単なる「箱もの」にすぎない。それぞれの建物が持つ歴史と物語を活かして、使ってこそ「活用」であろう。今年11月には半田運河沿いに、酢造りと輸送船がテーマのMIM(ミツカンミュージアム)がオープンする。産業観光都市・半田がいま注目である。

表 1900年の各社ビールの製造量

社名 銘柄 製造量(石) シェア(%)
日本麦酒 エビス 37,452 31.1
大阪麦酒 アサヒ 28,370 23.6
ゼ・ジャパン・ブルワリー キリン 18,379 15.3
札幌麦酒 サッポロ 14,300 11.9
丸三麦酒 カブト 5,226 4.3
東京麦酒 東京 2,300 1.9
その他 14,344 11.9
120,371 100.0

出典:『サッポロビール120年史』

曲田 浩和 経済学部教授

※この原稿は、中部経済新聞オピニオン「オープンカレッジ」(2015年11月13日)欄に掲載されたものです。学校法人日本福祉大学学園広報室が一部加筆・訂正のうえ、掲載しています。このサイトに掲載のイラスト・写真・文章の無断転載を禁じます。

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