いわゆる「企業の社会的責任」は1970年代にかなり強調され、1990年代以降はCSR活動として広く普及した。しかし、それと並行して「相次ぐ企業不祥事」がマスコミを賑わせ続けてきたことも事実である。
たとえば免震装置性能データ虚偽表示、自動車の燃費データ不正、「不正会計」、マンションの杭打ちデータ改ざんなどのほか、各種の談合に対する公正取引委員会の摘発や立ち入り検査が報じられ、海外でもディーゼル車の排ガス不正が昨年来、報道され続けている。
このように、一方での「CSR推進」と他方での「企業不祥事」という、相反する両側面が同時並行的に進行している事態を筆者は「CSR推進と企業不祥事続発の同時並行・両立現象」と規定し、その原因と求められる対応について研究してきた(拙著『社会的責任の経営・会計論』創成社、2012年)。
相反する両面がなぜ、同時並行・両立して現れ続けるのか。筆者はそれを資本主義社会における企業(とくに営利企業)の本質的性格に関わる矛盾(社会的ニーズを満たす財貨の提供という社会的性格と、それを第一義的には企業利益追求の手段として行うという私的性格との両立)と捉えている。社会的ニーズを満たさねば売れず利益も得られないが、私的利益動機が保障されなければ社会的ニーズ充足に取り組む企業は基本的に現れない。営利企業は基本的には、この両極の狭間でニーズ充足という「社会貢献」と利益追求優先という「本音」とのバランスをいかにとるかに腐心しながら活動しているともいえよう。したがって、すべての営利企業がより社会貢献的か、より私的利益優先的かという「矛盾のスペクトル」(幅のある範囲)のどこかに位置しているとみることができる。
とすると、より社会貢献的企業とその逆の企業とでは何が違うのかが問題になる。CSRに関する「推奨本」ではしばしば「トップの強い姿勢」がすべてであるかのように説明される。しかし、筆者はその規定要因を内的要因・条件と外的要因・条件との両面からとらえる必要があると考える。
前者にはトップの姿勢ももちろんだが、ガバナンス構造のあり方、それを保証しうるマネジメント・システムのあり方、実際に業務を担う管理者・従業員の教育などがあろう。後者には消費者とその組織、地域住民とその組織、サプライヤーなど取引業者とその組織、政府・自治体等の公共団体、NPO、そして企業自体の組織ではないという意味で外的ではあるがその影響力において内部的に大きな可能性をもつ労働組合など人的・組織的要因・条件と、法律、社会的諸制度などの法的・制度的諸要因・条件があろう。
これらはほぼすべての人々がなんらかの意味で関わりうる要因・条件でもある。その意味では、企業の不祥事を抑制し、その社会貢献的側面の強化を促すのは、主要には企業の責任者であるが、同時に多くの人々の姿勢にもかかわっているといえるのではないだろうか。
※この原稿は、中部経済新聞オピニオン「オープンカレッジ」(2016年8月4日)欄に掲載されたものです。学校法人日本福祉大学学園広報室が一部加筆・訂正のうえ、掲載しています。このサイトに掲載のイラスト・写真・文章の無断転載を禁じます。