私たちは消費者として、日々実にさまざまな商品・サービスを購入・消費して生活している。多くの事業者が自由に競争する市場において、消費者がより良いものをより安く、と選択して行う購買行動により市場経済が活性化する。そうした思想の下で、「消費者の利益」を理由に市場が開放され、次々に政府規制などが緩和・廃止されてきた。
しかし、ここで立ち止まって考えたいのは、私たちの消費行動のあり様である。消費者として市場に登場するというのは経済社会における私たちの一側面に過ぎない。他方では、生産者、製造業者、販売業者などとして生産活動や事業活動をしているかもしれないし、あるいは製造業や流通業の労働者として生活のために働いているかもしれない。そしてさらに、地域では住民として生活している。
そうしてみると、消費者としてより良いものをより安く、より便利に、と言って「消費者の利益」のみを追求し続けることは、他方で生産者・事業者としての自己の働きづらさにつながるのではないか。社会の、地域の一員として、相互に支え合って生活していることを自覚して、自分だけが良ければ良いのではない、自分の周囲にいる、あるいは自身のもう一つの側面でもある、生産者、事業者、労働者などの生業・生活・生存への配慮が必要ではないか、ということである。
そうした配慮ができる消費者は経済評論家の内橋克人氏のいう「自覚的消費者」に通じる。氏によれば、自覚的消費者とは自分が消費することの意味を考え、手にするモノを作っている人への思いを致すことのできる消費者であり、物の値段は安ければ安いに超したことはないが、いったいそれはなぜ安いのかを問い続ける消費者、再生産可能な適正価格を支持する消費者である。
2016年1月、カレーチェーン壱番屋の冷凍カツで、愛知県の産廃業者(ダイコー)による廃棄食品の横流しが発覚した。この事件の背景には、大量の廃棄食品を生み出す流通業界の問題や廃棄食品の処分手続きの欠陥など多くの問題があるが、消費者のあり様にも問題があるのでは、と考える。
消費者が安いものを追求するために、中小スーパーや弁当店が激しい低価格競争に追い込まれている。より安いものを追求すること自体を非難するつもりはないが、モノには適正価格というものがある。消費者は安い商品に飛びつくのではなく、なぜそんなに低価格で販売できるのか、考えてみる必要がある。生産者、流通業者などのことを考えるのならば、単に安ければよい、ではなくて、そのモノを適正価格で購入するべきではないか?
2012年に制定された「消費者教育の推進に関する法律」では、消費者が主体的に消費者市民社会の形成に参画できるよう消費者教育を推進することが目指されている。市場でうまく立ち回れる単なる「賢い消費者」ではなく、自分の消費の社会的意味を考えて行動できる消費者に変わっていくことが今、求められているといえよう
※この原稿は、中部経済新聞オピニオン「オープンカレッジ」(2016年11月18日)欄に掲載されたものです。学校法人日本福祉大学学園広報室が一部加筆・訂正のうえ、掲載しています。このサイトに掲載のイラスト・写真・文章の無断転載を禁じます。