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我が国に必要な教育改革

労働生産性を高めるための教育とは

 病休とは別に有給休暇が年間30日程度あり、しかも有給休暇の消化率が90%以上となっているドイツ。日本に比べて一人あたりの年間労働時間は3、4百時間、割合にして2割程度少なくなっている。にもかかわらず、労働者一人あたりの労働生産性は、日本の1.2倍近く高い。時間あたりの生産性で比べれば、ドイツの方が1.5倍近く高いことになる。フランスもドイツとだいたい同様だ。なぜこのような差が生まれるのだろうか。

 この一つの要因は、教育にあるように思われる。端的に言って日本の教育は、考える人を育てない。指示されたことを確実に実行することを重視しており、主体的に考える人はむしろ敬遠されさえする。この傾向は、近年ますます強まっているように思われる。確かに、教育政策文書には、変化の激しい不透明な社会に適応できる人を育てるための改革についてあれこれと書かれてはいる。しかし、フタを開けてみれば、教育の目標も内容も方法も政府が決め、教員はその実行だけ要求される仕組みになっている。子どもたちも、教員の指示通りに動くことが評価されるため、考えなくなってしまう。教員も子どもも「そもそもそれをやる意味があるのか」「もっとよい方法はないか」などを考えず、指示されたとおりのことを、長時間かけて根性で達成する仕様になっている。

 これを解消することが期待されている次期学習指導要領の目玉、アクティブ・ラーニングは、はたしてこのような教育を変えることができるのだろうか。アクティブ・ラーニングとは問題解決のために調査や討論などを重視する学習だ。座学中心の大学授業の改革のために導入されたが、それを小・中・高にも拡大することになっている。これに関して、文部科学省は、「ゆとり教育か知識詰め込みか」という二項対立は取らず、「知識と思考力をバランスよく確実に育む」として「教育内容の削減を行うことはしない」としている。しかし、授業で追究すべき課題を設定し、それを調査、発表、討論するには、教員、生徒ともに相当の時間を要する。教育内容を削減せずにやれば、授業時間か自宅学習を増やすしかなくなる。追い打ちをかけるように、教員の授業以外の仕事は増える一方だし、小学校にはこれまでの授業を減らさず、新たに英語が教科として導入される。多忙でオーバーヒートした頭で考えても妙案は浮かんでこない。結局、しっかり考えず、がむしゃらにやることになる可能性が高い。

 考えることのできる主体的な人を育てたいなら、日本の教育は、教員や生徒のやるべきことを大胆に精選する必要がある。そうやって生まれた余裕で、教師や生徒によいアイデアが浮かぶ可能性が高まるし、学校外の多様な活動に参加する条件も生まれる。その経験がまた教育や学習の素材として学校に還元されるという好循環も期待できるだろう。

藤井 啓之 経済学部教授

※この原稿は、中部経済新聞オピニオン「オープンカレッジ」(2016年12月28日)欄に掲載されたものです。学校法人日本福祉大学学園広報室が一部加筆・訂正のうえ、掲載しています。このサイトに掲載のイラスト・写真・文章の無断転載を禁じます。

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