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「曖昧な制度」から読み解く中国

加藤弘之が残した宿題

 昨夏、日本における中国経済研究をけん引し続けた加藤弘之氏が亡くなった。遺稿となった『中国経済学入門-「曖昧な制度」はいかに機能しているか』の"あとがき"で、加藤氏は次のようにつづっている。

 「木曽川の河口にある弥富市で生まれ育った私にとって、歳をとるごとに深まる中日ドラゴンズへの愛着とともに・・・(中略)・・・、関西に移り住んで四半世紀が過ぎ、その洗練された食文化にも触れてきたつもりだが、櫃まぶしや味噌煮込みうどんが無性に食べたくなったりするときがある。この気持ちは、多くの地方出身者(少なくとも県外在住の名古屋人)には理解してもらえるかもしれない。食の嗜好でさえこれほど変わりにくいものなら、一旦形成された制度が頑健で変わりにくい構造を持つのは、少しも不思議ではない」。

 悲報を受け、この言葉を再度読み返した時、思わずはっとさせられた。その理由は、加藤氏がたどり着いた結論である「曖昧な制度」と変わることのない郷土愛とが実にシンプルだが明確に結び付けられていたからである。

 加藤氏は「曖昧な制度」を「曖昧さが高い経済効果をもたらすように設計された中国独自の制度」と定義する。中国には立派な法や制度が存在しているはずなのに、実際の現場では、それらがあまり通用せず、人びとの思惑が絡み合い勝手な解釈がまかり通ることが多い。そうした人治的側面を中国の「遅れ」であると指摘する人びとは少なくない。しかし、加藤氏は、法や制度の中途半端、不徹底、不透明とされる中国社会の欠陥を、別の角度からみれば、柔軟さ、したたかさであるとし、そこに、改革・開放以降の経済成長の要因を見出す。

 さらに解釈を進めれば、「曖昧な」空間の下で、個人の活動の自由度は最大限までに高められ、その自由こそが、中国経済成長のエネルギー源であるとも読める。ただし、「曖昧な制度」はどこまでも過渡的なもので、いずれは法治国家が形成されることになるだろうという見解もある。

 このような批判に対して、加藤氏がその答えを明確に提示することはなかった。しかし、「食の嗜好」が変わらぬように、自由を手にしたいという嗜好も容易に破棄されることはなく、中国社会に潜む「曖昧さ」もしぶとく生き残るであろうと、"あとがき"で一つの答えを示したのではなかろうか。もちろん、それを論証することは、自らの宿題でもあったはずだ。まさにその解明こそが、次の仕事であると宣言したようにも映る。

 中国人とは、何者であるのか、その嗜好、規範のようなものを突き止め、そこから翻って中国経済の独自性を探す新たな旅が始まろうとしていたのではないか。残念ながら、その旅は中途で終わってしまったが、ドラゴンズ、櫃まぶし、味噌煮込みうどんという言葉に、無性な愛おしさを感じるならば、ぜひとも、加藤氏の著作を手に取り、残された宿題に挑んでみてはいかがであろうか。

原田 忠直 経済学部准教授

※この原稿は、中部経済新聞オピニオン「オープンカレッジ」(2017年2月28日)欄に掲載されたものです。学校法人日本福祉大学学園広報室が一部加筆・訂正のうえ、掲載しています。このサイトに掲載のイラスト・写真・文章の無断転載を禁じます。

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