※所属や肩書は講演当時のものです。
テクノロジーの進化に伴い、近年はパラリンピックの競技レベルが非常に高くなっています。代表的なのは下腿義足という膝から下を切断した方の競技で、走り幅跳びの世界記録は8m40cmと、リオオリンピック優勝記録である8m37cmに肉薄してきています。
そのため、一部ではオリンピックとパラリンピックを一緒にした方がいいのではないかという議論もありますが、私はこれには反対です。今の段階ではオリンピアンとパラリンピアンの差があり過ぎて勝負になりませんし、将来的にも、逆にオリンピアンはパラリンピアンに勝てなくなるので一緒にするべきではありません。
このことをもう少し広い視点から考えると、実はさまざまな問題が見えてきます。例えば、射撃の選手が眼鏡をかけて射撃をすることは、今は問題ないとされていますが、もし視力が4.0になる眼鏡をかけて射撃の試合に出場したら、果たしてどうでしょうか。
人工知能やテクノロジーを使い、どこまでも人為的に人の能力を拡張していく世界になれば、先進国と途上国との差は全く埋まらなくなります。テクノロジーが障がい者スポーツの未来に非常に難しい問題を突き付けてきているわけで、私たちは今、将来を見据えたルールづくりをしなければならない状況に直面しているのだと思います。
ベンサムという哲学者は、最大多数の最大幸福、つまり、「人数×幸せ度」が高くなる社会を目指すべきだと言っています。地球上の60~70億人の幸せを保つために、たった1人の少年に最大の苦痛を背負ってもらわなければいけない。そして、みんなそのことをうっすら知っている。これで十分、ベンサムの言う最大多数の最大幸福は満たされますが、果たしてこれがいい社会なのでしょうか。
こうした功利主義の考え方は、私たちの欲する共生社会とは相性が良くありません。全ての人がそれなりの幸せを得ながら生きていける。目が見える車椅子の人が方向を指し示し、歩ける人が車椅子を押す。共生社会の鍵はこういうところにあるのではないかと思うのです。人間の能力というのはでこぼこしていて、それをその時々に補い合える者同士がサポートし合うのが、よい共生社会なのではないかと思います。
その上で、障がいを解消する最も本質的なアプローチは、人々の意識が変わることです。2020年のパラリンピックでこのような変化を起こすことができれば、共生社会が東京パラリンピックのレガシーとなることでしょう。
一般社団法人アスリートソサエティ 代表理事
1978年広島県生まれ。スプリント種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。3度のオリンピックに出場。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2017年7月現在)。現在は、スポーツに関する事業を請け負う株式会社侍を経営。主な著作に『走る哲学』、『諦める力』など。
※この講演録は、学校法人日本福祉大学学園広報室が講演内容をもとに、要約、加筆・訂正のうえ、掲載しています。 このサイトに掲載のイラスト・写真・文章の無断転載を禁じます。