※所属や肩書は講演当時のものです。
パラリンピックは1948年にイギリスのストーク・マンデビル病院で始まった障がい者を対象としたスポーツ大会が原点ですが、その背景には戦争があります。連合軍は1944年、ナチスドイツから大陸を奪還するためのノルマンディ作戦に17万人の兵士を投入しました。その際、脊髄損傷者が多く出ることが予想されたため、イギリスはロンドン郊外に脊髄損傷者のための病院を造りました。それがストーク・マンデビル病院です。実は現在でも、ロンドン大会やリオ大会ではアメリカの選手団の約7.6%、イギリスの選手団の約4.8%は傷病兵であるという統計もあります。憲法第9条の問題もありますが、日本のようにパラリンピックに傷病兵が1人も出ていない国はかなり特殊なのです。
オリンピックにも障がいを持っている方は出られます。メダルを取った例もありますし、同じ年のオリンピックとパラリンピックの両方に出た方も結構います。また、一度オリンピックに出た後、病気などで障がいを持ち、パラリンピックやデフリンピックに出た方も結構います。
デフリンピックは、いわば聴覚障がいの方の国際競技大会で、運営委員会も選手も全員が聴覚障がいという特徴があります。
また、スペシャルオリンピックスは、知的障がいの方のオリンピックです。スペシャルオリンピックスは、同じような成績の方々のグループを作るという特徴があります。予選結果が類似した選手でグループをつくり、決勝を行います。1位~3位にはメダル、4位以下にはリボンが授与され、全選手が表彰台にあがります。
障がい者スポーツでは義足、義肢、車椅子といった用具の問題は非常に重要ですが、いい用具はお金持ちの国でなければ調達することはできません。従って、パラリンピックでは、技術格差や用具の優劣がメダル獲得数に非常に効いてきます。その格差はどんどん広がる傾向にあり、東京大会ではそのことも考えておかなければならないと思います。
スポーツの社会的役割や、何のためにスポーツをするのかということを考える上で、パラリンピックはとても大事です。もちろん見て楽しむことも大事ですが、私たちにいろいろなことを考えさせる一つの触媒や糧になるのではないかと思うので、皆さんにもぜひ、関心を持っていただければと思います。
公益財団法人日本財団パラリンピックサポートセンター理事長
日本財団パラリンピックサポートセンター理事長。東京大学法学部卒。1962年外務省入省。駐ベトナム・韓国・フランス大使、独立行政法人国際交流基金理事長、2020年東京オリンピック・パラリンピック招致委員会評議会事務総長歴任。
※この講演録は、学校法人日本福祉大学学園広報室が講演内容をもとに、要約、加筆・訂正のうえ、掲載しています。 このサイトに掲載のイラスト・写真・文章の無断転載を禁じます。