※所属や肩書は講演当時のものです。
ホームレスが抱えている問題は、日本の貧困問題を象徴的に表しています。ホームレスとは住居がない人たちのことですが、住居がないということは、寒さ暑さや雨風をしのぐ場所がないということと同時に、社会の中での存在証明がないということも意味します。
(資料)
・厚生労働省「ホームレスの実態に関する全国調査(概数調査)」各年版
・名古屋市資料
・藤井克彦・田巻松雄(2003)『偏見から共生へ』風媒社
2017年現在、厚生労働省の調査によると、日本にはホームレスと呼ばれる人たちが5534人います。傾向としては、1990年代前半から徐々にホームレスが増えはじめ、1997~1998年を境に激増し、2003年ごろにピークを迎えて約2万5000人となり、その後は減少傾向にあります。ただ、ホームレスの数は、全国の市町村の職員が街中で一人一人をカウントした結果なので、正確な数を出すのは難しいです。東京の民間グループの調査では、深夜に都内を回ると、行政発表の約3倍のホームレスが確認されたというデータもあります。したがって、少なくとも5534人は存在していると理解するのがいいと思います。
ホームレスが増加した1990年代後半は、日本において貧困の問題が広がっていった時期と重なります。日本の相対的貧困率は、1980年代ぐらいまでは12~13%で推移していましたが、1997年あたりからぐっと高まって、その後は15~16%で推移しています。被保護人員(生活保護受給者)の数も、高度成長期を通じて減少傾向にありましたが、1996年から増加に転じ、そこからは増え続けています。特に2008年ごろに急激に増えています。これはリーマンショックによって派遣切りに遭う人が増えたからだといわれています。
<非正規雇用比率と平均所得>
(資料)非正規比率:総務省統計局「労働力調査」、平均所得:厚生労働省「国民生活基礎調査」
1990年代後半から日本で貧困が広がった一番大きな要因は、非正規雇用が増加し、雇用が流動化していったことです。特に1990年代半ばから派遣労働者に対する規制が緩和され、非正規雇用の割合が増えていきました。それまでは全労働人口のうち2割に満たなかったのですが、現在では4割近くになっています。非正規雇用職員は正職員に比べて給与水準が低く、ボーナスや各種手当てもない場合が多いので、どうしても所得水準が低くなる傾向にあります。非正規雇用の増加とともに、1世帯当たりの平均所得も、1990年代半ばの約660万円から、2000年代半ばには約560万円まで下がっています。
日本のホームレスにはどんな人が多いのでしょうか。性別は男性が95%で、年齢は50代・60代の中高年層が約70%を占めています。海外では若いホームレスや家族のホームレスもいますが、日本の場合は中高年男性がホームレスの中心になっています。
<路上生活を始めた理由(%)【複数回答】>
(出典)厚生労働省「ホームレスの実態に関する全国調査(生活実態調査)2012年版」
ホームレスが野宿に至った理由として多いのは失業です。中高年男性のリストラ問題が社会的に注目されたのが1990年代後半だったので、中高年男性が失業を原因としてホームレスになったというのは何となくつながる話だと思います。しかし、学生たちにとっても、こういう時代ですから、自分の両親が明日失業してしまうかもしれないということは何となく想像できても、ホームレスになるかというとピンとこないかもしれません。なぜホームレスは、失業して家まで失ってしまうのか。そのことを理解するためには、ホームレスが野宿に至る前にどんな仕事をしていたのか、どんなところに住んでいたのかを見ていく必要があります。
<野宿直前の仕事と住居】>
(出典)厚生労働省「ホームレスの実態に関する全国調査(生活実態調査)2012年版」
国の調査によると、ホームレスが野宿になる直前に従事していた仕事の職種は、建設・採掘従事者が46%、生産工程従事者、つまり工場のラインの仕事などに従事していた人が14%と、一般の産業構成と比べて非常に高い割合です。雇用形態は、正社員が42%と多くなっていますが、日雇いが25%、臨時・パート・アルバイトが24%と、不安定な非正規雇用が半分を占めています。これも一般の産業構成からすると割合が高いですし、特に日雇いの割合が25%を占めているのは非常に特徴的です。
ホームレスの問題を理解するとき、「建設日雇い労働者」は大事なキーワードになります。日雇い労働者は、寄せ場に行って建設関係の仕事を探し、1日現場で働いて、日当をもらって、ドヤに泊まり、また次の朝寄せ場に行って仕事を探すという生活を繰り返しています。ドヤとは、1泊1000円や2000円で泊まれる簡易宿泊所です。不況になって建設関係の仕事が少なくなったり、高齢になって寄せ場で声が掛からなくなったりすると、仕事にありつけず、ドヤにも泊まれなくなり、野宿するようになります。日雇い労働者は仕事を失うことと家を失うことが結び付きやすいのです。最近でこそ寄せ場出身のホームレスは少なくなっていますが、それでも不安定な雇用形態と不安定な住居が結び付くと、失業による住居喪失リスクが高まっていくというのは今日でも共通しています。例えば、2008年のリーマンショックで多くの派遣労働者が派遣切りに遭い、社員寮を追い出され、住む場所がなくなった人々が年越し派遣村に集まってきたことが社会的にも注目されました。
今の社会で人がホームレスになるのは、そうよくある話ではありません。ホームレスの方と話をしていると、単に仕事を失って住居を失ったということではなく、それぞれが友達の借金の保証人になった、離婚した、自殺未遂をした、刑務所に入ったなどの人間ドラマを経てホームレスに至ったことがよく分かります。その過程の中で、友達とのつながり、家族とのつながり、社会とのつながりを失ってきたことを見落とすべきではありません。これがホームレス問題をより複雑化させているのではないかと思います。
私は「ささしまサポートセンター」という団体でホームレスの支援活動をしており、元ホームレスで、生活保護を受けながらアパート生活をしている人を対象とした生活実態調査を毎年行っています。物質的な面、精神的な面でサポートをしてくれる人がいるか聞くと、やはり多くの人はいないと答えます。子どもがいる方の子どもとの交流の頻度は、全くない人が84%です。友達や親戚、近所の人と交流する頻度も、半分ぐらいの人は全くないと答えます。仕事を失って住居を失っていく過程の中で途切れた社会との関係や人間関係は、たとえホームレス状態を脱却しても取り戻せていないのです。
包摂的支援研究会(2012)「アパート生活をしている人の暮らしに関するアンケート」
そのことが影響しているのかどうかは分かりませんが、精神健康調査票(GHQ:General Health Questionnaire)という尺度を使って、同じく元ホームレスの方の精神的な健康状態を測ると、60%がリスク群に該当します。日本人の一般男性では15%ですから、高い割合です。元ホームレスで生活保護を受けながらアパート暮らしをしている人たちは、精神的な健康がむしばまれている人も多いということです。
野宿生活は過酷ではありますが、周りにホームレスの仲間がいて、困ったときには助け合うコミュニティがある場合もあります。ところが、生活保護を受けてアパート生活に移ると、確かに野宿ではなくなりますが、周りに友達がいるかというとそうではなく、仕事があるかというとなかなか見つかりません。特にやることもないので、昼間街の中をぶらぶら歩いていると、「あの人はいい年して、昼間から何でぶらぶらしているのか」と白い目で見られ、アパートの中にこもるようになり、社会で孤立してしまいます。実際、支援活動を行う中で、ホームレスの方にやっとアパートに移ってもらうことができても、突然いなくなってしまう方が時々います。家主から未払い家賃の連絡を受け、残された家財を処分していると、自分たちがやってきた活動は何のためにあるのかという虚無感に襲われることもあります。
このことから、かつては支援のゴールを、ホームレスが家で暮らせるようになることだと設定していましたが、ひょっとしたらそれはゴールではなく、ホームレスが新しい地域生活をつくっていくスタートラインなのではないかと考えるようになりました。そこで、ささしまサポートセンターでは、元ホームレスがアパート生活に移った後に孤立しないための支援活動として、月に1回の交流会、お金を積み立てての旅行、花見などを行っています。
法政大学の湯浅誠先生は、自著の中で、「貧困とは"溜め"の喪失であり、溜めを失った人たちの問題である」と述べています。この"溜め"というのは、溜め池のようなイメージです。例えば、日照りが続くと田んぼは干からびてしまいますが、溜め池があれば、そこから水を引っ張ってきて、また田んぼを潤すことができます。溜めというのは、私たちの生活の中に問題が生じたときにクッションになってくれる、攻撃を和らげてくれるような存在なのです。金銭的な溜め、人間関係の溜め、精神的な溜めなど、いろいろな溜めがあります。貧困にある人は、溜めを失った人たちではないでしょうか。例えば、周りに支えてくれる人がいる中での求職活動と、いない中での求職活動では違いがあります。不採用が続くと、自分は社会から認められない存在ではないかと思ってしまうこともありますが、そのときに友達や家族が声を掛けてくれると頑張ることができます。そのような状態と、独りぼっちのアパートで不採用の通知を受け取り、誰にも話すこともできずに求職活動を続けていくのとでは、パフォーマンスも違ってくると思います。周りに支えてくれる人がいるかどうかはとても重要なのです。
また、私は5年前に父を胃がんで亡くしています。父は余命1年と宣告を受けてから、私の息子、父にとっての孫に会うため、北海道から名古屋までよく来ていました。父が闘病生活を頑張れたのは、孫の存在が大きかったと思いますし、それが1年と言われた余命を1年半に延ばしたのかもしれません。その父の姿を見ながら、生活保護を受けている元ホームレスの方々が末期がんになったときに、彼らは何のために頑張るのかということを考えざるをえませんでした。健康である、長生きをするというのは、誰もが願う絶対的な価値観のように見えますが、溜めを失っている、人間関係が制約されている人たちにとっては、健康であることでさえ、それほど絶対的な価値観ではないのかもしれません。
2015年に生活困窮者自立支援法という法律が制定され、中間的就労という仕組みが導入されました。これは釧路市の取り組みがモデルとなったもので、貧困状態にある人たちが、いきなり働くのではなく、ボランティアやインターンシップなどを通して少しずつ社会とつながり、自分も働くことができるという実感を持ち、ゆくゆくは一般就労につなげていくというものです。ささしまサポートセンターでもそのような取り組みを行っており、ホームレスや生活保護受給者に、近くの商店街の夏祭りや年末のイベントの手伝いで活躍してもらっています。
ホームレスは邪魔者扱いされたり、ここ数年、生活保護受給者に対する社会の目が冷たく、生活保護受給者は怠け者だという報道がなされたりして、彼らは自分が社会に役に立たない人間だと思わされている面があります。そうではなく、自分も地域社会の中で役割を持つことができるという自己肯定感を持ってもらうことが、貧困な状態にある人たちを支援していく上で非常に重要だと思っています。
<両親年収別の高校卒業後の進路>
(出典)東京大学大学経営・政策研究センター(2009)「高校生調査」
最近、子どもの貧困が話題になっています。貧困家庭に育った子どもは、経済的な理由で進学ができなかったり、十分な教育が受けられなかったりするため、低学歴のまま社会に出て、その子どもも貧困な状態に陥るという、貧困の世代的再生産もいわれています。
貧困家庭に育った子どもは、幼少期から、頑張りたいという気持ちは持っていても、頑張ることが難しい環境に置かれていることがあります。社会の中で居場所を持ち、自分も役に立つ人間だと思える、自分を肯定できるという感覚は、ホームレスだけではなく、貧困家庭に育つ子どもたちにとっても同じく重要だといえます。
日本福祉大学でも、日本福祉大学アンビシャス・ネットワークという学生の団体が、2012年という早い段階から、貧困家庭の子どもたちへの学習支援に取り組んでいます。半田市という大学の近くにあるまちで、生活保護世帯と一人親家庭の中学生を対象にした勉強会を開いています。学生なので、勉強を教えるのはプロの塾の先生に比べると上手ではないかもしれませんが、中学生と世代が近いので、お兄さん・お姉さんという感じで、困難を抱えた世帯の子どもたちの居場所になっています。
このように、貧困問題に関わっている学生も日本福祉大学の中にはいます。皆さまには、今回お伝えした貧困問題についての視点を、今後の参考にしていただければと思います。
※この講演録は、学校法人日本福祉大学学園広報室が講演内容をもとに、要約、加筆・訂正のうえ、掲載しています。 このサイトに掲載のイラスト・写真・文章の無断転載を禁じます。