2015年の国連サミットにおいて、16年から30年までを計画期間とした「持続可能な開発のための2030アジェンダ」が採択され、世界中の誰一人も取り残さないことを理念として、「持続可能な開発のための目標(SDGs)」が設定された。その達成に向けて、世界中の政府、NGOなどが動きを速めている。筆者の研究テーマの一つが、ラオス焼畑地域における持続可能な開発の姿を探るものである。
ラオスは、インドシナ半島の中央部に位置する内陸国。国連では最も開発が遅れた後発開発途上国に指定されている。
初めてラオスを訪れたのは1991年。外国人は自由に国内移動ができなかったこともあり、ホームグラウンドである北部のルアンパバンへは、日本から足掛け4日必要であった。当時、乾期には数時間しか電気が来なかった。そのルアンパバンも、現在はユネスコの世界文化遺産に指定され、数多くの外国人観光客が訪れる有名な観光地へと変貌を遂げつつある。
しかし、町から一歩離れると農村地帯が広がり、焼畑でコメを栽培して生計を立てている。
焼畑は干ばつや洪水などの気候変動の影響を受けやすい農法である。また、地力が非常に低いため、コメの収量は生存できるギリギリの状態である。しかし、このような状況下でも、農民は、日照りに強い品種と大雨にも強い品種、あるいは早生と晩生などを組み合わせて栽培し、伝統的にリスク分散を図っている。
ラオスで行われている焼畑は、休閑期間も短く、森林の劣化を引き起こす大きな原因となっているが、焼畑を縮小して森林保全を図っていくためには、他の生計手段の確保が不可欠である。たとえば、家具などの材料として利用価値の高いチーク、果樹、ゴムを植林したり、紙の原料となるポーサーなどを栽培するなど、経済林として持続可能な利活用を進めていく動きも進んできた。
2000年頃からは、農作物の品種改良が徐々に普及し、収量の増加や品質の向上が図られるようになってきた。また、道路の整備によって流通環境が格段に改善されたことにより、野菜類の市場への出荷が可能となってきた。
ラオスの農村地帯を歩いていると、時代の変化のスピードに驚く。電気は近年急速に普及してきたものの、村長の家の古い白黒テレビが村唯一の電化製品であり、依然として水道もない村が圧倒的に多い。しかし、そんなラオスの山奥もいきなり携帯の時代に突入し、女子高校生がfacebookを使って見知らぬ外国人とメッセージをやり取りしていたり、村長が携帯で市場の動向を知り合いに聞いたりしている。また中国資本の流入が著しく、ルアンパバンの街中には中国製品と中国人観光客があふれ、村々から集められたゴムや特用林産物の多くは、中国へと輸出されている。
この早い動きの中で、ラオスの人々の生活はどう変化していくのか、これからもじっくりと追いかけていきたいと考えている。
※この原稿は、中部経済新聞オピニオン「オープンカレッジ」(2018年11月14日)欄に掲載されたものです。学校法人日本福祉大学学園広報室が一部加筆・訂正のうえ、掲載しています。このサイトに掲載のイラスト・写真・文章の無断転載を禁じます。