2040年、わが国は年間死亡者数のピークを迎え、166.5万人が亡くなると推計されている。その数は、介護保険制度が始まった2020年比で70.3万人の増となり、これ以降も死亡率が高まっていく「多死社会」を迎える。そこにある人々の暮らし、そしてその先にある最期のときを、私たちはどう描くのだろうか。
人生の最期をどこで迎えたいか―高齢者の多くは自宅を希望するが、20歳以上を対象とした意識調査では、希望場所が自宅と医療機関で大きく二分される。自宅を望む理由は、「住み慣れた場所で最期を迎えたい」「最期まで自分らしく好きなように過ごしたい」といった前向きな理由が挙げられる一方、自宅以外の選択理由には「介護してくれる家族等に負担がかかる」「症状が急に悪くなったときの対応に自分も家族等も不安」という声がある。家族をおもんぱかっての意思表示だろう。
自宅での最期を推進する立場はとらないが、人生の最期を考える際に、介護負担や不安の存在を前提にしなければならない議論は、望ましいものではない。国は、「ときどき入院、ほぼ在宅」の生活を掲げた施策を推進している。それが多死社会での理想のあり方だとしても、実現は容易ではない。たとえば、訪問・通い・宿泊の介護サービスを組み合わせた小規模多機能型居宅介護は、中部4県160市町村のうち50自治体にはなく、さらに看護サービスも組み合わせた看護小規模多機能型居宅介護にいたっては、120自治体でサービスが提供されていない。先の負担や不安の解消にはほど遠い。
筆者は、質の高い終末期ケアの実現に向け、終末期ケアマネジメントの実践を推奨してきた。それは、ケアの質を高める四つの条件―条件①本人・家族の意思表示、条件②終末期ケアを支える介護力、条件③過不足のない医学医療ケア、条件④本人や家族の願いを実現するためのケアマネジメント、を整えていくプロセスである。
その中でも、条件①にかかって、一般国民目線でのACP(アドバンス・ケア・プランニング:人生会議)の推進に着目した取り組みに着手したところだ。ACPに直接に関わるであろう福祉・医療の枠組みを越え、多領域の人々や企業とのコラボレーションを志向している。現状、一般国民におけるACPの認知度は低く、そのことは、医療・ケアチームによる4条件の整備の障壁にもなる。気兼ねなく自身の看取り、看取られ方を思い描き語り合える、それが多死社会の姿であって欲しい。
一方で、ACPの普及や4条件の整備だけでは解決し難い課題の存在も認識している。それは、「看取りの格差」である。かつて、所得の多寡で最期の場所やケアの質が異なるという可能性を示したが、この構造は、介護保険制度が定着した今日においても続いているものとみている。4条件をもとにした個々のケアの質向上とともに、社会構造に対する手立てを見据える必要があるだろう。
※この原稿は、中部経済新聞オピニオン「オープンカレッジ」(2024年12月18日)欄に掲載されたものです。学校法人日本福祉大学学園広報室が一部加筆・訂正のうえ、掲載しています。このサイトに掲載のイラスト・写真・文章の無断転載を禁じます。